moncraのブログ

言ったこと、したこと、思ったこと。

消化不良

今となってはどうでもいいことのうちの一つだが、今ひとつ消化しきれないことがある。

 

いつ頃からか、母と親しくしている男性が家に来るようになっていた。

母は数年前に離婚をしていたので、新しい男性が出来たとしてそれは不思議ではなかった。

一緒に食事にも行ったことあるし、旅行に行ったこともあった。

 

ある日、母から「もんちゃん。みんなでおいしいご飯食べに行こか。」と言われた。

私が着替え始めると、「こっちの服着て行き」など、普段は服装に関して口を挟まない母が、その時に限って指定してきた。

それは滅多に着ることのない、ちょっとオシャレなブランド物の服だった。

こころなしか母も気合いが入っている。

「なんでこれ着るの?」

「えーとこいくねん」

そんな会話だった気がする。

 

着慣れない服に身を包みながら車に乗り、たどり着いたのは地元で有名なホテル。

あれよあれよという間に大きな長机が1つ置かれた宴会場というには小さな、でも食事を摂るには大きな部屋に通された。

 

そこにはおばさん、おじさん、いとこたち、それに見たことの無いおじさんとおばさんが数人ずついた。

 

「もんちゃんは、ここに座っとき。」

 

そう言い残して、母はいわゆるお誕生日席に座った。

母の隣にはあの新しい男性がいた。

 

その時に私はようやく気づいた。

 

結婚式だ。

 

時間になると次々と食事が運ばれてきて、見たこともない料理が目の前を通り過ぎて言った。

しばらくすると、向かいに座っていた知らないおじさんがマイクを持って席を立ち、

「ではここで、お互い再婚同士ですからね、指輪の交換ならぬ、ネックレスの交換をしましょうか。」

と言い、母と隣の男性が立ち上がり、今まで見た事もないような照れ笑いを浮かべてネックレスをお互いの首に付け合った。

 

きっと私も、誰も見た事がないような顔をしていたと思う。

 

 

なぜ母は、「結婚式(モドキ)をするから行こう。」と言わなかったのだろう。

なぜ母は「おいしいごはんを食べに行こう」と、私にウソをついたのだろう。

なぜ母は前もって言わなかったのだろう。

なぜ母は出かける直前に私に声をかけたのだろう。

私が反抗期だったからだろうか。

私に文句を言わせる隙を与えないようにするためだったのだろうか。

私をなんだと思っているのだろうか。

 

素直に言ってくれれば、私だって素直に祝うことが出来ただろうに。

 

あの日が未だに消化できずにいる。

 

 

 

 

 

SUGAR & SALT

今となってはどうでもいいことのにも思えるが、こんなことがあった。

 

学生時代、私に第一次コーヒーブームが到来する。

ドリッパーやサイフォン、手動ミルなどを購入し、見様見真似でコーヒーを楽しんでいた。

当時はインターネットはあるものの、も今のようにどこでも気軽に情報を入手出来るものではなかった。

たかがアルバイト程度の収入で、購入出来る豆だってKALDIなどの量販店で買うくらいしか出来なかった。

 

ある日、友人のタイタン君と自宅でゲームをしていた時、「そうだ、コーヒーでも淹れてやるよ」と言い、自慢げに道具と一緒に「〇〇産の豆が手に入ってな」とか「ローストの具合がどったらこったら・・・」と、今思えば赤面物の蘊蓄を並べながら、カップにコーヒーを注いでいた。

 

「そうだ、君はこういうコーヒーなんか飲みなれてないだろう。」

「最初からブラックは分からないだろうから砂糖を入れといてやるよ。」

 

という具合だ。

 

彼は少し顔を曇らせながらも、黙ってコーヒーに口をつけていた。

 

よほど彼はコーヒーが苦手だったのだろう。

半分も飲まないうちに「ありがとう。美味しかった。」と言い残して、帰っていった。

 

私はそれが悔しくてたまらなかった。

せっかくのコーヒーを残されたのだ。

 

まだ彼にコーヒーは早かったか。と思いながら、彼が飲み残したコーヒーに口をつけた。

 

塩の味がした。

粉もん

今となってはどうでもいいことなのだが、こんなこと

があった。

 

⒈小さな折り紙を谷折りにする。

⒉そこにチョークの粉をためる。

⒊後から「なぁ」と呼びかける。

⒋相手が振り向いた瞬間に「フッ」と息を吹きかける。

 

勢いよくチョークの粉が舞い上がり、相手の顔が真っ白になるという寸法だ。

 

 

チョークの粉が目に入って痛い。

目が痛くて涙が出ていた。

 

でも私にとっては、そばで見ていたにもかかわらず、

笑いながら「どしたんその顔」と言われた方が響いた。

 

私の顔はチョークまみれで、そんなに醜く滑稽だったのだろうか。

 

お手洗いに行き、顔を洗っていると

目が痛くて涙が出ているのか

悲しくて泣いているのか

ただ顔が濡れているだけかのか

なんだかよくわからなかった。

プレイバックpartいくつ?

今となってはどうでもいいのだが、ある日、母親と口論になった。

何が原因かはわからない。

私は理屈できちんと説明しているのに、頭の悪い母親はそれが理解できず、

私は理解できない母親にイライラし、多少口が悪くなる。

母親は私の言い方が気に入らないらしく、

揚げ足取りばかりをするので議論が前に進まず、

何やらよくわからないことを怒鳴っているから私もついつい大声になる。

 

いつものことだ。

 

私はそのへんにあった数万円のお金と保険証と携帯電話を持ち、

「出ていってやる」

勢い任せに家を飛び出て自転車で気の向くままに走り始めた。

 

 

どれほどの時間が経ったろうか、携帯を見ても母親からの着信は一件もない。

普通ならば鬼のように着信があってもいいものだろう。

 

気がつけば私は母親に電話をかけていた。

「おい、目の前で家出したんやぞ。普通心配になって電話ぐらいかけてくるやろがっ」

 

我ながら恥ずかしいセリフ

強がりばかり言うくせに淋しがり屋なんだと気付かされた。

 

 

 

あの日見たビデオⅤ(了)

今となってはどうでもいいと思うようなことなのだが、ずっと気にかかっていることでもある。

 

あの日見たビデオの中には、大人の知識を持った私、

映像関係の仕事が増えてきた今の私にはどうしても腑に落ちない点がいくつかある。

 

まず、棒読みすぎる演者。

今でも新人であればそれくらいのことはあるだろう。むしろAVに出てくる人たちは見てられないほどの棒読み演者なんていくらでもいる。

だが、セリフを噛んだとてカットがかからず、一発撮りのようなものはあるだろうか。

このビデオは場面(背景)が変わる部分で編集されている程度であり、

音声もカメラに付属しているマイクのみで、ピンマイクはもちろんガンマイクすらない。要は、スタッフに音声担当がいない。

 

次に証明。

仮にスタジオで撮影されたものだとしたら、30年以上前の映像かつ低予算作品とはいえ、カメリハくらいはあるだろうし、照明の調節くらいするだろう。

しかし、終始演者には影ができているし、肝心なところが暗かったりするし、

なにより手ブレがひどい。

三脚すら使用せず、手持ちカメラをずっとまわしているのだ。

要は、カメラマンが素人同然なのである。

 

次に小道具。

いくら低予算だとしてもプロ集団が制作した映像ならば、せめてバイブやローター程度の小道具は用意するだろう。

しかし使用されているのはそうした大人のおもちゃではなく、大人のおもちゃからきこる「振動音に近い音」を発する小型の卓上掃除機なのだ。

要は、あり合わせ。

 

あの日見たビデオにはスタッフの存在が感じられないのだ。

プロ集団が作り、販売されていたものだとするならば、私が手にしていたのが

たとえダビング品の黒いビデオカセットだったとしても、

映像の中に制作会社のロゴやスタッフの名が出てきてもいいのだ。

にもかかわらず、映像の前後には紙に書かれた作品タイトルらしき文字を、フェードイン・フェードアウトすることによってぼかしていくだけの手法である。

 

私は今、一つの結論にたどりついている。

あの日見たビデオはプロによって作られてはいない。

マチュア、いや、素人によって作られた「自主制作アダルトビデオ」なのではないだろうか。しかも、その集団は大人ではない。

大人だったら、せめて本物のバイブくらい用意できるはずだ。

バイブは用意しなかったのではなく、用意できなかったのだ。

なぜか。

それは制作者が大人ではなかったから。

現代のようにネットで未成年が簡単に購入できるようなものではないのだ。

つまり、自分たちが大人の店で買うことができなかったからだ。

 

親が持っていたビデオカメラを使い、

友だちの家に集合し、

当時付き合っていたカップルを出演させ、

中高生が見よう見まねでアダルトビデオを自主制作していたのならば。

 

そして、そんなビデオを姉が持って帰ってきたのだ。

「いいものあるで」というセリフと共に。

あの日のビデオⅣ

今となってはどうでもいいことなのだが、あの日見たビデオは当時の私にとって大事件だった。

公園の植え込みに落ちている雑誌の一部から得られる情報で、それなりの知識は持っていた。

しかし、今目にしたのは動画なのだ。モザイクもない。

 

 

次の日、学校でクダル君だけに話した。

でも、あれよあれよという間に話は広がっていき、

「今日、もんきちの家に集まってみんなで見ようぜ」

そうなるのは、当然の流れだったろう。

鍵っ子であった私は、親の目など気にせずにすむので、家に集まっていかがわしいビデオをみんなで見ることくらい、造作もないことだった。

友だちが増えたみたいで嬉しかった。

 

ただ、驚いたのは一度も話をしたことがない他のクラスの奴らまで

家に来たことだった。

 

 

普段から口数少ない、おとなしいもんきちがエロビデオを持っている。

「そうか、君はそういうやつなのか」という目を女子から向けられた

少年の日の思い出である。

あの日のビデオⅢ

今となってはどうなってもいいのだが、どうしても忘れられないことがある。

 

手に持っていた道具のスイッチを切ると、女性は服を着てカバンをもってどこかへ出かけた。

ひとりで歩いていると、後ろから男性がやってきて、ハンカチを女性の口に当てた。

 

すぐさま女性は気を失い、男性は車の中へと連れ込んだ。

 

場面が変わり、裸の女性がベッドにねかされており、同じく裸になった男性が女性の体を舐め回していた。

 

ここまでの場面も相変わらず手ブレは激しく、照明もまともに当たっていなかった。

 

 

ここから先に展開されていく、ひどい棒読みの下手くそな演技で交わされる男女の会話は特によく覚えている。(以下、括弧内は私の注釈)

 

女性・・・目がさめる。

     起き上がり、男性をおしのけながら

     「ばかやろー。き○がい。へんたい」

男性・・・「だって、お前があまりにもかわいかったら・・・ゴニョゴニョ」

     (カメラ付属のマイクなので何を言っているのかよく聞き取れない)

女性・・・「わかったわ。私をさんじっ、、、30分で満足させることができる?」

     (言い直したのはセリフを噛んだからであろう)

 

ここから、女性と男性のカラミがはじまる。

色々なことがあってベッドの上で全てのコトが終了した。

なぜか二人そろって風呂場へと移動する。

風呂場で二回戦がはじまる。

ベッドに戻ってくる。

 

女性・・・「約束の時間は大幅にこえたえど、満足もなにも、大満足さ。」

 

 

この瞬間に映像は途切れ、最初に出てきた紙の映像になり、

だんだんと画面はぼやけていく。

 

 

ここでビデオテープは止まった。

 

大事件だった。