今となってはどうでもいいと思うようなことなのだが、ずっと気にかかっていることでもある。
あの日見たビデオの中には、大人の知識を持った私、
映像関係の仕事が増えてきた今の私にはどうしても腑に落ちない点がいくつかある。
まず、棒読みすぎる演者。
今でも新人であればそれくらいのことはあるだろう。むしろAVに出てくる人たちは見てられないほどの棒読み演者なんていくらでもいる。
だが、セリフを噛んだとてカットがかからず、一発撮りのようなものはあるだろうか。
このビデオは場面(背景)が変わる部分で編集されている程度であり、
音声もカメラに付属しているマイクのみで、ピンマイクはもちろんガンマイクすらない。要は、スタッフに音声担当がいない。
次に証明。
仮にスタジオで撮影されたものだとしたら、30年以上前の映像かつ低予算作品とはいえ、カメリハくらいはあるだろうし、照明の調節くらいするだろう。
しかし、終始演者には影ができているし、肝心なところが暗かったりするし、
なにより手ブレがひどい。
三脚すら使用せず、手持ちカメラをずっとまわしているのだ。
要は、カメラマンが素人同然なのである。
次に小道具。
いくら低予算だとしてもプロ集団が制作した映像ならば、せめてバイブやローター程度の小道具は用意するだろう。
しかし使用されているのはそうした大人のおもちゃではなく、大人のおもちゃからきこる「振動音に近い音」を発する小型の卓上掃除機なのだ。
要は、あり合わせ。
あの日見たビデオにはスタッフの存在が感じられないのだ。
プロ集団が作り、販売されていたものだとするならば、私が手にしていたのが
たとえダビング品の黒いビデオカセットだったとしても、
映像の中に制作会社のロゴやスタッフの名が出てきてもいいのだ。
にもかかわらず、映像の前後には紙に書かれた作品タイトルらしき文字を、フェードイン・フェードアウトすることによってぼかしていくだけの手法である。
私は今、一つの結論にたどりついている。
あの日見たビデオはプロによって作られてはいない。
アマチュア、いや、素人によって作られた「自主制作アダルトビデオ」なのではないだろうか。しかも、その集団は大人ではない。
大人だったら、せめて本物のバイブくらい用意できるはずだ。
バイブは用意しなかったのではなく、用意できなかったのだ。
なぜか。
それは制作者が大人ではなかったから。
現代のようにネットで未成年が簡単に購入できるようなものではないのだ。
つまり、自分たちが大人の店で買うことができなかったからだ。
親が持っていたビデオカメラを使い、
友だちの家に集合し、
当時付き合っていたカップルを出演させ、
中高生が見よう見まねでアダルトビデオを自主制作していたのならば。
そして、そんなビデオを姉が持って帰ってきたのだ。
「いいものあるで」というセリフと共に。