どうでもいいことではないが、どうでもいいことにしてしまいたい。
私は「就職したくない」という考えだけで大学院へと進学した。
たいした卒論を書いたわけでもない。
ただ、自己満足のためだけに仕上げたようなものであり、
内容なんて何もなかった。
でも、いつしか自己満足は自己欺瞞になっていった。
自己欺瞞は過剰な自己評価になり、
気がつけば、私は研究者を目指すにふさわしい人間になっていた。
今になって思えば、私は李徴だった。
「俺は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、
求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。
かといって、また、俺は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。
ともに、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心とのせいである。
己の珠にあらざることを惧れるがゆえに、あえて刻苦して
磨こうともせず、また、己の珠なるべきを半ば信ずるがゆえに、
碌々として瓦に伍することもできなかった。」(中島敦『山月記』より)
これほどまでに私を表す言葉はあっただろうか。
しかし、当時の私は、自分のことをこのように表現することはできなかった。
大学院に進学してもたいした発表はせず(できず)
研究会に所属するわけでもなく
ただただ毎日を過ごしていた。
ただただ修士課程の二年間を浪費した。
たいした才能も成果もないのに
「俺は教授になるのだ」などと豪語する俺をみた奴らは
さぞかし滑稽だったろう。(つづく)